映画「自殺者一万人を救う戦い」

今週はゴールデンウィーク。金曜日と土曜日には、日本カルバリーチャペルのカンファレンスを控え、私は数多くの聖書説教の準備でぶっ倒れそうになっています。(笑)そんなことをやっていながら、なおやはり心に残っていることをここに書き記したいと思います。

「自殺者一万人を救う戦い」(映画紹介サイト)

アイルランド人の監督による、一時間弱のドキュメンタリー映画です。上のサイトの【作品概要】から一部を抜粋します。 続きを読む 映画「自殺者一万人を救う戦い」

私の予測する日本の迫害

次のニュースについてお話します。

靖国神社:衆参168議員が集団参拝 春季例大祭

超党派議連168人が参拝 平成17年秋以来の規模安倍首相になってから、国の流れが閉塞感から不気味な安堵感へと変わっていると感じています。私は彼、また保守系議員の動きは典型的な復古主義がその根底にあると見ていますが、しかしながらこのことに単に批判を加え、反対することが真の霊的な戦いだと思っていません。なぜなら、彼らのしていることは、日本という国の成り立ちに関わる深い宗教的、そして霊的流れを、正直に言い表しているものだからです。すなわち、神仏一体や先祖供養など、日本人のあり方の根底をなす部分を、国の制度として表明しようとする試みに過ぎないからです。

私たちがキリスト者になるときに、親がクリスチャンでなければ、徹底的な自己の死が必要です。家族や周囲からの圧力があります。それを、「いや、それでも私は主に従う」と決断したからこそキリスト者であることができます。日本は政治的には自由を享受している国ですが、霊的には他の迫害国と変わりない抑圧を受けています。したがって、単に政治的に抑圧を受けている国であれば、そのまま目に見える形で迫害に耐えているキリスト者としての生き方をすることができるのですが、政治的、また社会的自由があるがゆえに、かえって霊的な抑圧があることを見失い、妥協をする、あるいは黙ることによって、また積極的に自らの信仰告白や証ししないことによって、霊的成長を阻んでいる、ということです。

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恵比寿バイブルスタディのお知らせ(4月24日)

こんにちは、お元気ですか?次回のバイブルスタディのお知らせです

日時:4月24日(水)午後7時から
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:黙示録6章
*次回の学びは5月22日になります。

ついに内容は患難時代(ダニエルの第七十週)に入ります。ダニエル書の後半部分の背景知識が随時出てきます。7-9章をまずお読みになると良いと思います。

よろしくお願いします。

ホロコースト記念日と主の救い

今、大変忙しく、イザヤ書講解の準備をしています。英語でしなければいけない講義で、四苦八苦しながら行なっておりますが、息抜きに在イスラエル日本人のブログ記事を見たら、思わず涙が出て、私も黙祷してしまいました。

ホロコースト記念日のイスラエルの様子

ウィキペディアに説明がありますが、ワルシャワ・ゲットー蜂起を起点として、ユダヤ暦の1月(ニサン)27日に行うそうです。その一週間前は過越祭で、その一週間後は戦没者追悼日(中東戦争で亡くなった人々の追悼)で実は今日が記念日、その後で今年65周になる独立記念日ということ。

私が涙したのは、普段どおりに車を走らせている人々が、サイレンの時間に高速でも停車して犠牲者のことを追悼したことです。どんなに忙しくしていても必ず立ち止まる、これは安息(シャバット)の原則ですが、同じく安息の主を信じているキリスト者は、主のことを思うために、どれだけ忙しさの中で無条件に、無理にでも立ち止まることをしているかどうか、自分を振りかえつつ反省しています。

そして、イザヤ書の学びをしている最中だったので、涙しました。そこには残された者、横暴な敵国の抑圧の中で苦しみ悶える弱く、貧しき者のために、主が救いの手を指し伸ばし、義とされた民が安全で平和な町に住むことができるよう約束に満ちています(例:イザヤ25‐26章)。ブログ記事の主は原爆のことを取り上げておられますが、原爆だけでも私たち日本人にかなりの痛手と苦しみを負っているのに、ましてや約六百万人の同胞が殺され、そのために帰還した民が今度はアラブとの戦いで死んでいき、その狭間で独立を果たすという苦難と辛苦の歴史を辿っています。

しかしそれだけに、その救いが、ただただ主からのみ来ることを想うのです。ここまで虐げられると、人間的な解決法の可能性は除去されます。キリストにある神の義にある救いと平和のみが、唯一の希望なのです。「その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」(イザヤ25:9)

話は変わり、私は何人かの在イスラエル日本人のブログに立ち寄りますが、最近見つけたのは、とても面白い留学日記です。こちらにも、ペサハから続く記念日続きで連休になっている様子を楽しく紹介してくれています。「くまさんのイスラエル留学日記 ~ ふぁらふぇる ~

女性に一考してほしい男性の悩み

先ほど、カルバリーチャペル・コスタメサの水曜晩の礼拝をネットで見ました。話者は牧者ブライアン・ブローダソンで、箇所は1コリント7章1-7節で、ずばり「夫婦の性生活」でした。1-5節まで引用します。

さて、あなたがたの手紙に書いてあったことについてですが、男が女に触れないのは良いことです。しかし、不品行を避けるため、男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持ちなさい。夫は自分の妻に対して義務を果たし、同様に妻も自分の夫に対して義務を果たしなさい。妻は自分のからだに関する権利を持ってはおらず、それは夫のものです。同様に夫も自分のからだについての権利を持ってはおらず、それは妻のものです。互いの権利を奪い取ってはいけません。ただし、祈りに専心するために、合意の上でしばらく離れていて、また再びいっしょになるというのならかまいません。 あなたがたが自制力を欠くとき、サタンの誘惑にかからないためです。

現実的、実際的な話をしなければいけないとして、いろいろな霊的助言をしていました。自身も結婚カンセリングをしているそうですが、「感情に苦みや敵対心があれば、当然ながら親密さを示すセックスはしなくなる。数ヶ月、数年、夫婦生活をしたことがない人たちがいる。これは罪だ。」とまで言い切っていました。日本の夫婦にはセックスレスが多いのですが、この基準からすると、罪を犯しているクリスチャン夫婦は意外に多いかもしれません。

積極的な性

性について取り扱うときに、私自身乗り越えなければいけない恥ずかしさがあります。それは日本人がどうしても性について、必ずしも聖書的ではない恥ずかしさがあることです。けれども、聖書を読んでいていつも、性が自分が思っているよりも積極的であり、神がこれを賜物として与えておられて、一種の使命さえあることを知るからです。

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カジノ構想の愚かさ

再び時事的話題になりますが、これまたクリスチャンにとっては直接関わる問題なので、ご紹介します。

維新 カジノ整備推進法案提出へ

愚か極まりないです。これによってお金が日本国内に入っていくということであれば、パチンコによってどれだけの人がその生活と人生が破壊されたかを考えるべきです。しかもこれに公費を使うのは、言語道断です。

ちなみに、カジノそのものがきれいなものではないですが、この法案提出に至る事情も裏があり汚いです。(参照サイト

カジノやパチンコにとどまらず、ここでキリスト者が賭け事に対してどのように対処すべきなのかを書き留めたいと思いますが、上手に回答しているページがありましたので、ここでご紹介します。

クリスチャンは宝くじを買ってはいけないのでしょうか?(Yahoo知恵袋)

結論から申し上げると「避けることが賢明である」です。聖書には賭けをしてはいけない、とは明言していませんが、「貪り」「競争心」「迷信にとらわれる」「家族をかえりみない」など、人間の様々な肉欲を刺激するものとなっています。

賭け事をする人に対する言葉

急に得た財産は減るが、働いて集める者は、それを増す。(箴言13:11)

富を得ようと苦労してはならない。自分の悟りによって、これをやめよ。
あなたがこれに目を留めると、それはもうないではないか。富は必ず翼をつけて、わしのように天へ飛んで行く。(箴言23:4-5)

受難週 - 聖書考古学から

最近見つけた聖書考古学のサイト”SourceFlix“から、もう過ぎ去ってしまいましたが、決して心の中では過ぎ去らない「受難週」のビデオがありました。

イエス様が「石が叫びます(ルカ19:40)」と言われましたが、考古学の発見による石は、まさに神の証しを私たちに叫んでいます。十字架の釘が突き通された足の遺跡を見たとき、「イエス様が、このようにして私の罪のために死んでくださったのだ。」と思い、むせび泣きました。そして開いた墓はさらに一層、喜びの涙にあふれました。

日本語に訳したいと思います。

そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」 (マタイ21:9)

テル・ダン碑文 紀元前9世紀 「ダビデの家」を言及

しかし、彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。「あなたがたは全然何もわかっていない。ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」(ヨハネ11:49-50)

カヤパの骨箱 紀元1世紀 「カヤパ」という名が刻み込まれている

「ポンテオ・ピラト ユダヤ長官」と読める碑文 1世紀

ピラトは彼らに言った。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはいっせいに言った。「十字架につけろ。」(マタイ27:22)

十字架につけられた男、釘を刺されたかかとの遺骸 一世紀

あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。(使徒2:23)

ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。(マルコ16:4)

転がされた石のある墓(注:確かガリラヤ地方で、この墓を見たことがあります。同じく1世紀頃のものだと記憶しています)

ここにはおられません。よみがえられたのです。(ルカ24:6)

関連記事:「明日から受難週

恵比寿バイブルスタディ(4月3日)

みなさん、こんばんは。

今朝の復活祭礼拝はいかがでしたか?
今週の学びの案内です。

日時:4月3日(水)午後7時から
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:黙示録5章
※次回の学びは来週4月24日になります。

前回は、私たちの故郷、天がはっきりと神の御座として啓示されているところを見ました。ここから目を離してはいけません。そして今回の5章は、神の壮大な贖いの計画、キリストの贖いが天で賛美されているところを読みます。

よろしくお願いします。