北朝鮮のキリスト者を知る映画

東アジアキリスト青年大会には、脱北して韓国にいる姉妹二人が参加し、講義には、韓国で脱北者の若者が学校に行けるための財団の代表者の方がいらっしゃいました。そこで改めて、日本の方々に、私がこれまで見てきた、北朝鮮の人々とキリスト教の接点を知るのに、良質な映画としてご紹介したいものを取り上げます。

クロッシング

日本のニュースでの紹介

(本編はこちらです(英語字幕付き))

この映画が優れているのは、北朝鮮の人たちも全く同じ人間であり、家族愛を描いていることです。私たちと全く同じ感情や想いを持っていることを知ることができます。そして、何らかの形でキリスト教との関わりがあることも見逃せません。脱北後、また韓国内において、何らかの形でキリスト教の支援を受けています。そして、脱北者への綿密なインタビューに基づいているので、話の全体はフィクションですが、生々しい現実を映し出しています(北朝鮮内でもこの映画が密かに流布したそうで、彼ら自身、本物に近いという評価だとのこと。)

次に紹介したいのは、脱北後の韓国での生活を描く映画です。

ムサン日記 ~ 白い犬

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指導者への執り成し - 安倍首相のために祈る

昨日の礼拝の後に、東アジアキリスト青年大会に、私たちの教会から参加した人々に恵みの分ち合いをしていただきました。

クリスチャン新聞の記者の方が参加されたので、ウェブ上では現地からの速報もあり、そして3月2日号の新聞にも早速、報告が書かれています。その一部を紹介します。

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直接中国からの牧師の参加はなかったが、日本人、韓国人の牧師が講演、メッセージし、実際的な国際関係の問題をふまえ、聖書的な生き方を勧めた。参加者は文化や政治体制、言語を越えて、学びや交わり、互いの理解を深めた。
2日目の夜には、各国で祈祷課題を挙げ、それぞれの国のために祈った。祈祷課題は以下の通り。[中国]①中国のキリスト教のリバイバルのために、クリスチャンが霊的な目が開かれて、成長できるように②神様が中国を用いられ、中国が神様のみこころに従えるように③国の指導者のため、国が神さまの公正と公義で支配されるように[日本]①日本人の救いのために②安倍晋三首相のため、指導者のために③教会が中国、韓国のことを知って、立ち上がってまず祈りから始められるように。[韓国]①南北統一のために。北朝鮮の指導者が、神さまのみこころを知ることができるように、南も北を理解できるように②脱北者のためにクリスチャンがどのように接するべきか模索し、やるべきことを見つけられるように③韓国のクリスチャンの間で、信仰と生活がかけ離れ、本質を失った状態があるので、回復できるように。宣教の情熱をもった若者が立ち上がるように。
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国際/互いを知り祈る 東アジアキリスト青年大会3

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イスラエル周辺の地政学の変化

私は、フェイスブックなどで、なるべくイスラエルの経済の好調について話してきました。ITや医療技術を始めとする起業。観光業のうなぎ上りの収益など、イスラエルが「まともな」国であることを示したかったし、何よりも、エゼキエル38章にある預言が基盤にあるからです。

こう言おう。『私は城壁のない町々の国に攻め上り、安心して住んでいる平和な国に侵入しよう。彼らはみな、城壁もかんぬきも門もない所に住んでいる。』あなたは物を分捕り、獲物をかすめ奪い、今は人の住むようになった廃墟や、国々から集められ、その国の中心に住み、家畜と財産を持っている民に向かって、あなたの腕力をふるおうとする。(エゼキエル38:11-12)

エゼキエル書を読むと、イスラエルの回復は段階的であることが分かります。一般の理解では、メシヤが到来するとイスラエルが回復するというものです。確かにモーセが死ぬ直前に預言したのはその通りなのですが、時代を追うごとに神はその完成に至る経緯を詳しくしめしてくださいました。 続きを読む イスラエル周辺の地政学の変化

恵比寿バイブルスタディ(2月19日)

こんにちは、連絡が遅れてすみませんでした。次回の恵比寿バイブルスタディのお知らせです。

日時:2月19日(水)午後7時から
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:ルカによる福音書2章
※次回は、2014年3月5日です。

主のご誕生の箇所ですね、じっくり学んでみたいと思います。

等身大で見るキリスト者

水谷潔さんが、フランクリン・グラハムとその息子ウィル・グラハムが日本でクルセード(伝道集会)を開くことについて、疑問を抱いている牧師さんの下のブログ記事をリンクしておられます(元記事はこちら)。(注:【後記】を書いています、この記事の一番下にあります。)

福音派キリスト教とフランクリン・グラハム伝道大会

アメリカ主義が輸入された教会というものを体験した筆者にとって、確かにこの伝道大会とは心理的な距離を取りたいという思いが伝わってきます。日本の教会が、未だに米国の宣教活動に過度に依存していることへの嘆きは、よく伝わってきました。韓国の教会の宣教方法もそれがアメリカ式だという批判をされていますが、そのことも良く分かります。

この方の書かれた終末に生きる神の民についてのブログ記事で、大きく教わるところがあり、私も悔い改めに導かれました。これはぜひ、他の方々にもお勧めする論考です。そしてこの方の書かれた著書もざっと読みましたが、じっくりと聖書に取り組んだ跡が残っています。

「類型化」という過ち

ただ、その論点の背後にある流れには疑問があります。それを一言でいえば「類型化」です。

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東アジアキリスト青年大会第四回

去年暮れ、本ブログでご紹介した2月13‐15日に開かれた「東アジアキリスト青年大会」ですが、無事帰ってきました。今回は、第三回以上に霊的に充実した恵みに溢れた大会となりました。日中韓の関係が悪化している中で、むしろ世の光としてキリスト者がこれまでにない一致と平和を若者たちの間で享受できたと思います。

詳しい報告は、時を追ってこれから少しずつご紹介していくと思いますが、まだ興奮の冷めないうちに書き留めておきたいと思います。

まず、参加者の構成です。前回は、日本人が私たち夫婦しかいなかったのですが、今回は合計9名が参加できました。また日本に在住の中国と韓国の兄弟姉妹も参加し、日本からは合計20名以上になります。そして中国本土からは二名が参加、さらに脱北者の姉妹も二名参加です。合計50数名による大会です。

そして共通しているのは、大会前の「不安」です。初めての人は大きな期待を抱きながらも、青年のみならず講師として招かれている先生方も初めての人は不安だったと思います。一体この大会が何であるのか、その内容が見えないということ、さらに、日中韓の関係悪化の中で何か嫌な経験をするのではないか、という不安も少なからずあった`かもしれません。しかし、共に三か国語の歌詞が出ているスクリーンを見ながら同じ賛美を歌い、御言葉を聞き、共に祈りあう時間を過ごしながら、一気に主のご臨在に中に引き込まれました。 続きを読む 東アジアキリスト青年大会第四回

教会の使命と福音の本質

先ほど、食い入るようにして読んだ二つの小論考があります。ある教会の牧師さんが書かれたものです。

必要なことはただ一つ ~多元社会を生きる教会の役割~

ただキリストを伝えよう ~教会が宣べ伝える唯一の福音~

ここまで、しっかりと整え、礼拝中心の教会、キリストのみの福音を分かり易く論じておられると、とても感心しました。もちろん細部には、意見の違うところがいくつかありますが、本質では100%同意ですし、私自身、大きなチャレンジを受けました。

①の「多元社会を生きる教会の役割」では、まず「教会の役割ではないもの」ということで、企業ではない、カウンセリング・ルームではない、政府ではない、福祉施設ではない、学校ではない、と続きます。

企業ではないというのは、リック・ウォレンの「目的主導教会」に代表されるような成功哲学に基づく、いわゆるメガ・チャーチの考え方です。これの哲学は日本の教会に深く浸透しています。次の二つのブログ記事をご覧くださると良く分かります。確かに今の教会がこのようになっていて、私たちはこのようにならぬよう、熾烈な信仰の戦いを祈りと御言葉によってしているのだと思います。

いまどきの教会について、ちょっと考える
自分を高めようとする危険

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再紹介「愛:さらにまさる道」チャック・スミス著

先日のブログ記事「教会を傷つけるもの - 自己愛」のご紹介を、水谷潔先生がしてくださいました。(→こちら

その中で、「チャック・スミス師の霊的DNAを継承する」とのお褒めの言葉をいただいているのですが、決して私の功績ではありません。しかし確かに牧者チャック・スミスからの継承であり、チャック自身は主にお従いし、その深い経験から得た神の知恵を若い世代に分かち合ったのだと思います。こちらの本をぜひおすすめします。

「愛:さらにまさる道」チャック・スミス著(原書: Love – More Excellent Way
PDFファイル ・ 以前の紹介記事

ここの目次をご覧になるだけでも、神の愛の流れをお感じになれると思います。

「第一部 私たちに対する神の愛」
「第二部 神を愛すること」
「第三部 私たちを通して神の愛を伝える」

この三つは一つの流れになっており、バラバラの主題でもなく、ましてや相反したものではありません。私たちに神の愛が示されると、私たちが神を愛して応答します。そして神は、私たちを通して神の愛を他者に分かち合うことように導かれます。神の愛の性質そのものが、そのようになっているからです。ここに自分の愛が入ると、堰となって愛の流れを阻み、淀みを作り出し、聖い交わりを汚染させるのです。

時間を取って、ご一読されることをおすすめします。

西日暮里BSキャンセル等(変更のお知らせ)

こんばんは。皆さんは今日、礼拝に行けましたでしょうか?私たちの教会では、雪にも関わらず、多くの方々と主とともに時間を過ごせて嬉しかったです。いらっしゃることのできなかった方々も、それぞれの場で神の恵みがあったことと思います。これからメッセージの音声をホームページに掲載しますので、お聞きください。

http://logos-ministries.org/lcf_message.html#ezra&nehemiah&esther

ところで、明後日(2月11日)に予定していました西日暮里バイブルスタディですが、突然で大変申し訳ありませんが、お休みさせていただきます。_(._.)_

もう一つのお知らせですが、次の日曜日2月16日に、午前礼拝のみで午後礼拝はありませんので、お気をつけください。そして、2月13‐15日に、私たちと教会からは三人が韓国の済州で行われる、東アジアキリスト者青年大会に参加します。聖霊の力強い働きがあるようお祈りください。

教会を傷つけるもの - 自己愛

水谷潔さんが、ブログで一連のシリーズを書かれました。

自己愛性信仰障害の時代

大変貴重な記事だと思いました。特に(5)の「自尊心に仕える教会生活」と、(6)の「傷つきやすさに現われる潜在的自己愛」が良いでしょう。今日の社会の病巣をよく示しており、これが霊的な装いをもって心の中に、そして教会の中にまで浸透します。

実は私自身が、以前、「エッセイ「神の戒めと愛」 」という記事を書いています。こちらもぜひご一読ください。キリストが私たちに仕え、ご自身の命を贖い金とするまで愛してくださったのですから、その愛に感動し、今度は自分がこの方にすべてを捧げ、愛をもって神、そして人に仕えていきたいと願います。愛への応答があるのです。それで、イエス様は「もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。 (ヨハネ15:10)」と言われました。「そんなの、できないよ」という人は、できないのが問題ではなく、キリストの愛に留まっていない、というのがイエス様が言われていることです。

もしこの御言葉に激しい抵抗を覚え、心や思いの中で捨ててしまうのであれば、その人は自己愛者です。けれども水谷さんが、健全な自己愛者と不健全な自己愛者と区分けされています。健全なのは「痛い、私は自己愛になっている」と、聖霊から来る痛みを感じる人で、不健全なのはまるで無視する人です。

教会というのは、徹底的に自分を捨てるところです。自分ではなく、神の愛に満たされるところ。そして自分ではなく、他者に神の愛を分かち合うところです。喜びをもって主に仕える霊に支えられ、そして他者に対して愛をもって仕えるところです。自分を愛すると、教会は痛み、傷つき、不一致をもたらします。その原因となっているものを、列挙してみましょう。

他者の見下し、批判:「私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。(ピリピ2:2-4)」

自分の事情だけを主張・貫徹する:「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めているのではありません。(ピリピ2:21)」

自分と考えややり方の違う人を裁く:「たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。 (1コリント12:15)」「あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。(ローマ14:1)」

他の人、また教会と比較して論じる:「しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことです。(2コリント10:12)」

自分のやりたいことを自由にできるのがキリスト者らしいと思う:「もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。(ローマ14:15)」

御霊によって、そしてキリストの十字架によって、「自分」という自分を縛る者から解放された喜びに満たされることができますように。

【補足】自己愛の反対語は「自己無関心」

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