受難週に入りました

一昨年の掲載した「明日から受難週」を再掲します。

第一日(日):棕櫚の主日(Palm Sunday)

主がエルサレムに入城された日です。メシヤとして公に入りつつも、ほふられる過越の小羊としても入られました(出エジプト12:3「十日」)。

参照聖句:マタイ21章1-11節(原稿音声

第二日(月):宮清め

主が、商売の場と化していた神殿を清められることによって、人にある宗教に対して対抗されました。そして、それを象徴するいちじくの木を呪われました。

参照聖句:マタイ21章12-21節(原稿音声

第三日(火):教えと論争の日

小羊なるイエスが、宗教者らによって試されました。しかし、誰も対抗できず、この方の真正が残りました。そして主は律法学者らを譴責され、ご自身の再臨までに起こるエルサレムの破壊を告げられました。その間に起こる世の終わりの出来事を、オリーブ山で弟子たちに語られます。

参照聖句:マタイ21章22節以降、25章まで
(原稿と音声:マタイ伝

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恵比寿バイブルスタディ(3月25日)

あと二週間で、復活祭ですね。これから主の受難を思いながら日々を過ごしていきたいですね。(参照ブログ:「明日から受難週」)今週水曜日の学びの案内です。

日時:3月25日(水)午後7時
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:ルカ18章
次回の学び:4月8日

18章は、へりくだりと祈りが主題です、大変興味深い内容になると思います。お会いできるのを楽しみにしています。

クリスチャンの行なう「剽窃」

今日、一つ強く思わされることがありました。以前ご紹介した「イスラーム国の衝撃」の著者、池内恵准教授が自身のブログで剽窃の問題を取り上げていました。

『イスラーム国の衝撃』を剽窃した記事についての対応

剽窃(ひょうせつ)というのは、辞書には「他人の作品や論文を盗んで、自分のものとして発表すること。」とあります。本来、自分の引用や採用している元を明らかにすれば良いのですが、それを自分のものとして発表するという問題です。上のブログ記事を読むと、単に剽窃しただけなのにそれをなかなか認めない筆者と編集部の頑なさも、見えてきます。

この記事を読んで私自身が剽窃を受けたことを思い出しました。2004年に発表された、イエス様の受難を描く「パッション」を、私は鑑賞前の評判の紹介鑑賞後の感想のどちらをもホームページで詳細に紹介しました。そうしたら、後日、あるキリスト教月刊誌で、私の文章がそのまま大幅に剽窃されているではありませんか!それで出版社にすぐに連絡し、書いた記者本人から返事がありました。「取材に時間がなくて、それで使った。」という、あっけらかんと認める文章でした。怒りを超えて唖然としましたが、「これから、気をつけてください」という旨を伝えました。キリスト教の報道機関が、剽窃が倫理的・社会的にいかに問題であるか、一般常識との乖離にがっかりしたことを覚えています。

以上、実際の剽窃の問題を取り上げましたが、実は霊的には、キリスト者はしばしばこの罪を犯しているのではないか、ということをお話ししたいと思います。

他人の言葉で自分を欺く

この前の日曜日、元ヤクザで教会を牧会しておられる進藤牧師が、私たちの教会と同じ場所で、その晩、日本華人基督者センター(JCC)主催の月例会で救いの証しをしてくださいました。久しぶりに、聖霊の力ある証しを聞くことができ、励ましを受けましたが、その中で大事な一言が彼の口から出てきました。正確に引用できないのですが、内容は次の通りです。 続きを読む クリスチャンの行なう「剽窃」

格好良く見せようとする教会

ここ一・二年の間感じている、今日の福音主義の教会にある問題をこれから、折をみて取り扱っていきたいと思います。私はクリスチャンになって25年ぐらい経ちますが、その間だけでも、次のような変遷がありました。

1)明らかな異端と社会的カルト性

信仰を持ってから間もない1990年代前半には、この存在に気をつけなければいけないと自分を戒めていました。統一協会の壺売り、エホバの証人の「輸血拒否」、後に教祖が性的嫌がらせなどで逮捕された「摂理」、行き過ぎた管理で問題となった「東京キリストの教会」(注:その後、指導者が悔い改め)など、キリスト教の根本教理から外れている団体が多くいた、ということ。熱心さ、純粋さが利用されて、そのような団体にはまっていく時であったような気がします。

2)正統的な教理を持っているのにカルト的になる教会

90年代後半から、正統的な教理を持っているのにカルト性を持つ教会が多くなったことに気づき始めました。そしてこの問題は、まさに今にも続いています。経済のバブルに合わせて、教会にも教会成長論が入り込み、会社にあるような成功哲学で運営していこうとした結果、歪みが生じ、社会的問題も引き起こす事例が多くなりました。私が驚き、悩み苦しんだのはこの部分です。クリスチャン新聞など、福音的な信仰を持っているとされる報道機関が「成功している教会」として報道していたもの、その多くが内部での歪み、カルト性を持っているものであることが多かった、ということです。

3)福音信仰からの逸脱、世的な手法の導入 続きを読む 格好良く見せようとする教会

恵比寿バイブルスタディ(3月11日)

みなさん、こんばんは。3月に入り、間もなく暖かくなる兆しが若干ありますね。

明後日の学びの案内です。

日時:3月11日(水)午後7時
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:ルカ17章
次回の学び:3月25日

ルカによる福音書は、各節に出てくるイエス様の言葉は他の福音書と似たようなものが多いですが、実は文脈上、異なった意味でイエス様が語っておられることが多いです。この章も同じで、「ああ、また同じ話か」と思わずに、その前後関係を読んで、「なぜここでこんなことを言われているのか。」ということを自問自答しつつ、読んでみてください。

皆さんにお会いできるのを楽しみにしています。

映画「神々と男たち」

今の日本人キリスト者に迫る約20年前の出来事

前記事の続き)

神々と男たち本日はお休みの日にしているということで、フェイスブックで、ある方の紹介で「神々と男たち」という題名の映画を観ました。次のような説明文があったからです。紹介されていた方のフェイスブックの投稿で、次のように説明しておられて、今日はこれを鑑賞しようと思いました。

「タイトルに関連した詩篇82:6,7から始まる、1996年に起こったノンフィクション映画です。最近のISISによる事件ともかぶるので観るのに気が重くもありましたが、永遠の視点について考えさせられる良い作品でした。

アルジェリアで現地のイスラム圏の人々に寄り添いながら神に仕えていたフランス人修道士8人。しかしクリスマスイブにイスラム武装派が修道院に乱入し、このことを機に軍と武装派との争いに巻き込まれることとなります。次の襲撃では殉教すると分かっている修道士たち。フランス政府からも勧告を受け、このままとどまるべきか退去すべきか意見が分かれ、悩み、祈り、もう一度人生を見つめ直します。 続きを読む 映画「神々と男たち」

カルバリーチャペル沖縄「主の勇士」

先週の後半は、沖縄まで行ってきました。カルバリーチャペル沖縄で水曜礼拝で御言葉を取り次ぎ、5‐7日は、オクマという名護に近い米軍管轄のリゾート地で、男性修養会にて、御言葉と通訳の奉仕にあずかりました。テーマは、ギデオンに主の使いが語った、「主の勇士」です。現役米軍兵士の体格の良い兄弟たちだけでなく、日本人の兄弟たちも数名参加されたので、大きな励みになりました。
Men's Retreat Okinawa

沖縄への旅については、共に参加した、教会の兄弟がご自身のブログで書いておられるので、そちらを紹介します。

第一日目: 「熱心に彼と和解する」

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