以前、教会について、日本では数多くのクリスチャンが教会に通わなくなっているという課題を取り上げました(ブログ記事)。「イエス様を信じているけれども、教会には行っていません。」という人が多いです。ロゴス・ミニストリーでもその問題はずっと前に取り上げています。この前の「クリスチャンの生活と証しコース」では、「それはご主人は好きだが、その奥さんは嫌い」と言っているようなものだ、という例えを使っていました。そうです、「キリスト」と「キリストの体」である教会は夫婦が一心同体だから引き離せないのと同じです。
けれども、なぜ教会に馴染めないのか?そして、教会の礼拝にはかろうじて出席しているけれども、どうしてそれ以上、入り込むことができないのか?そして、何かあるとつまずき、他の教会に移る。けれども、またつまずく。そうこうしている内に、教会そのものに通わなくなる、ということが起こってしまいます。
そういった問題というか、課題に対して、今、恵比寿バイブルスタディで学んでいる「ピリピ人への手紙」は非常に有益です。パウロは、牢屋の中で主にある喜びを抱いていました。そんな逆境でも喜ぶことができました。けれども、もっと喜びに満たされることができるように、と言って、ピリピの人々にお願したのが「一致」だったのです。ぜひ、次の二つのメッセージを聞いてみてください(あるいは読んでみてください)。
1章27‐30節「共に奮闘」(原稿 ・ 音声)
2章1‐4節「へりくだりにある一致」(原稿 ・ 音声) 続きを読む しっくりさせよう「教会生活」