憎まれる愛

映画「オダシティ」

オダシティ(Audacity) 」(意味:厚かましさ、大胆さ)同性愛をテーマに、聖書から見た真実を訴える話題の最新作を、映画”180″を制作した、Living Watersが作りました。

見ましたが、この主人公のように、愛をもって真実が語れたらと願い、祈りました。(ところで映画のシーンに、カルバリーチャペル・コスタメサのLogos Building(我が校、School of Ministryも入っています)と駐車場がロケに使われています!)

この中で、クリスチャンの主人公ピーターが何とかして、同性愛者にキリストに愛をもって届こうとしている姿が出てきます。けれども、その愛をどのように示すのか?同性愛者の決まった反応は、「あなたがたクリスチャンは、同性愛者を憎んでいる。私たちが地獄に投げ込まれるということだけを、考えているのだろう。」ということです。しかし、主人公はあきらめずに、彼らにどうやって証しをするのかを考えます。その中で、伝道者レイ・コンフォートによる、質問や対話による同性愛者への伝道場面を録画した動画を観ます。 続きを読む 憎まれる愛

イスラエル・ヨルダン旅行準備会のビデオ

先日、当ブログでもお伝えした、「イスラエル・ヨルダン旅行の第三回目準備会」を無事に終了しました。こちらに、準備会の様子のビデオの一部をご紹介します。

続きをご覧になりたい方、以前の準備会や集会の様子をご覧になりたい方は、一番下の連絡先のメールアドレスにご連絡ください。

イスラエル旅行の案内は、「イスラエル・ヨルダン旅行(2016年2月) 」からご覧になれます。以前との変化は、「イスラエルのテルアビブの空港発着ではなく、ヨルダンのアンマンの空港発着に変更」になったことです。大韓航空ではなくエミレーツ航空になりました。出発が2月15日に成田空港から夜10時で、到着が2月25日に羽田空港の午後10:45に到着です。したがって機内での宿泊となりホテル代を節約できることと、現地での初日と最終日にも十分、見て回る時間ができるようになりました。暫定的な旅程は、チラシでご覧になれます。

旅行案内チラシのダウンロード(大まかな旅程付き)
2016年イスラエル・ヨルダン旅行

ぜひお祈りされて、申込みをご検討ください。
連絡先:info@logos-ministries.org

次世代への信仰の継承

今年もまた、8月13‐15日に「マラナサ・バイブル・フェローシップ」を富士山麓山の村で行いました(2014年2013年2012年2011年)。

涼しさで体が休まったキャンプでした。個人的には、今回のキャンプのテーマは「信仰の継承」であったのではと感じました。ゲストで招かれたは、「ユースパッションin Shizuoka」で用いられている、李相勇(サムエル)さんですが、その証しが物凄く心に残りました。自身、牧師の息子ですが、いかに自分自身が信仰を持つべきか、その凄まじい戦いを聞く恵みにあずかりました。

そして、若者が多く来てくれました。私が初めに会った時は小学生だった彼らの多くが今は二十代です。信仰が確実に継承されていますが、しかし、本人たちが聖霊によって深い罪の自覚、キリストの十字架を信仰で見て、その体験を持っています。

反面、信じているのにその情熱が冷めたり、離れていってしまう人々も現実にいることも知っています。ある人々は信仰に立ち返り、ある人々は信仰から遠ざかってしまう・・・。イエス様への道の行き来に、私は厳粛な思いがしました。 続きを読む 次世代への信仰の継承

イスラエル・ヨルダン旅行準備会(第3回)

暑い日が続いていますね。私たちのロゴス・ミニストリーでは、来年2月イスラエルとヨルダンを訪問する聖地旅行を企画しています。

イスラエル・ヨルダン旅行(2016年2月)

興味のある方は誰でも、求道者の方でも参加大歓迎です。準備会を来週、土曜日に開きます。ぜひお越しください。こちらも、参加を検討中の方、ちょっと興味のある方を含め、どなたでも歓迎いたします。

日程:8月22日(土)午後3時から5時過ぎまで
内容:新約聖書時代のイスラエルの背景
場所:ロゴス・クリスチャン・フェローシップ(荒川区西日暮里)

御体を傷つける罪

ヒルソング教会に対する攻撃

とても大事なニュースを読みました。発端は、ニューヨークのヒルソング教会において、その聖歌隊のリーダーの二人が、公に同性愛者であることを発表し、既に婚約、結婚も予定している、というニュースです。何人かの友達のFacebookにも流れていました。このヒルソングの牧師は、オーストラリアの主任牧師もニューヨークの牧師も、同性愛についての是非を公の場で明らかにしなかったニュースが流れていました。(日本語記事)そのために、今回のニュースが一気に広まったのです。

しかし、このニュースに対して、オーストラリアのヒルソング教会の主任牧師が、事実を訂正しています。

Hillsong Church Statement by Senior Pastor Brian Houston
August 2015

hillsong

要旨は次の通りです。「ヒルソング教会の同性愛に対する立場は、聖書に一貫するものであり、パウロがこの主題については立場をはっきりとさせている。数か月前、聖歌隊の責任者の一人が、予期せぬ発表をした。時々、聖歌隊で歌う一人の男性との婚約だ。私たちにとっても青天の霹靂だった。私の理解では、この二人はそれ以降、教会の奉仕や指導的働きには関わっていない。以上だが、それでも私たちは彼らを愛しているし、彼らも私たちと同じように旅の途中であり、教会としての役目は、恵みと憐れみをもってその旅の手助けをすることだ。」 続きを読む 御体を傷つける罪

「依存」と「信頼」を聖書から見る

先日、記事「横の関係は結局、縦の関係」のコメントで話しましたが、日本人の「神と自分との関係」、また「人と人の関係」において、「依存」と「信頼」の違いを知ることはとても大切であることを、昨日の午後礼拝の後の交わりで話しました。次のブログ記事はとても適切な説明をしていると思います。(神を「利用」する信仰と、神に「信頼」する信仰

一部抜粋「信仰とは本来、「依存」である前に「信頼」であると私は思う。前者には盲目的、他力本願的、思考停止的な姿勢が含まれているけれど、後者には積極的な選択が含まれている。自らの考えで神を選び取り、その愛に信頼し、多少の不利益があってもその言葉に従って生きる。そういう生き方は、「神への依存」というより、むしろ「神への自立的信頼」だ。

この言葉を何度も読み直し、どのようにして依存と信頼の違いを説明すればよいのか、と思い巡らしていました。(今日はプールに行って泳いでいましたが、その時に御言葉が与えられました!)

ルカ14章25‐35節です。

25 さて、大ぜいの群衆が、イエスといっしょに歩いていたが、イエスは彼らの方に向いて言われた。26 「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。

28 塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか。29 基礎を築いただけで完成できなかったら、見ていた人はみな彼をあざ笑って、30 『この人は、建て始めはしたものの、完成できなかった。』と言うでしょう。31 また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようとするときは、二万人を引き連れて向かって来る敵を、一万人で迎え撃つことができるかどうかを、まずすわって、考えずにいられましょうか。32 もし見込みがなければ、敵がまだ遠くに離れている間に、使者を送って講和を求めるでしょう。

33 そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。34 ですから、塩は良いものですが、もしその塩が塩けをなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか。35 土地にも肥やしにも役立たず、外に投げ捨てられてしまいます。聞く耳のある人は聞きなさい。

ここに出てくる「群衆」は、イエス様と依存関係にあります(25節)。つまり、イエスが語られ、その行なわれている意味や意義は何なのかを、深く考えることなく、盲目的に付いて行っているだけです。大して考えておらず、そういったことはイエス様に丸投げして、思考停止状態にありました。 続きを読む 「依存」と「信頼」を聖書から見る