改めて放射線情報

もう、いろいろな方が原発事故に伴う放射能漏れ事故についてたくさんの情報を集めておられると思います。アメリカでは友人の方からたくさん「日本で放射能汚染はどうなっているのか」という質問、またこの前の日曜日は除染奉仕活動に行く誘いを受けたけれども、状況はどうだと思うか、という質問を受けました。

なので、私自身が依拠していた情報源をここに分かち合わせていただきます。

東大・中川氏 正しい放射線・放射能・被ばくに関する対応とは

上の講演ビデオは、とても分かりやすく説明してくださっておりますので、改めて知識を整理したいという方は有用だと思います。

ちなみに私は去年3月末から、この教授が導いている放射線チームのブログを読んでいました。

http://tnakagawa.exblog.jp/

講演の中では、ご自身が放射線による癌治療の臨床経験を通して、また日本人の癌発生率が二人に一人という現実の中で「人は死ぬものである」という意識がとても強いことを分かち合っておられます。けれども、どこかで、隣の二人が見つめ合ったとしたら「癌になるのは相手で自分ではない」という、「ゼロリスク社会」という意識があることを指摘しておられます。クリスチャンではないと思いますが、日本人の死生観や命への姿勢に触れる部分であることを話しておられます。

以上です、参考情報としてここに掲載しておきます。

クリスチャンの政治家

先ほど明日の恵比寿バイブルスタディの学びの準備が終わり、ちょっとネットサーフィンで遊んでいました。フェイスブックで「柴橋正直」という民主党議員の方がリンクされていたので、思わず彼のブログを熟読してしまいました。プロテスタントの教会の牧師の息子さんで、そして彼の政治姿勢には非常に共感できるものが数多く、その考えの背後に聖書的価値観が横たわっていることが明言されています。例えば・・・、

TPPに関連して、世界統一の流れは反キリストであると明言

パレスチナ問題について、「パレスチナ問題について、領土問題は当事者同士の話し合いで決めること、エルサレムをパレスチナの首都と認めることは聖書に反すること、イスラエルの安全保障を確保し、イスラエルを孤立化させないことを、総理に提言しました。パレスチナ問題は、旧約聖書の時代から流れている全世界史的課題であり、背景をおさえた上で、欧米や中東諸国と国連で協議してほしいとの思いです。」・・・すごい!

聖書の観点から不信任案を斬る」という題名で、姦淫の現場で捕えられた女の話を取り出し、「東日本大震災を前にして、神の前にも人の前にも100点満点の議員がいるでしょうか?」とのこと。

その他、聖書に関するコメントが多数あり、実際の国会の審議においても質疑において聖書に基づいた個人的信条を語っておられます。(ビデオ

しかし、非常に気になることがありました。神社などの習俗行事に積極的に参加し、実際の儀式にも関わっている記事がかなり多くあったことです。

政治家と宗教行事

実は日本の政治界(実は経済界にも)には、カトリックを含むキリスト教徒は多くいると言われています。「小さな命を守る会」のブログ記事の「この方もクリスチャン」には有名人でクリスチャンだと言われている人たちが登場しますが、保守政党にも革新政党にも議員は結構いますし、実は首相を務めた方にもキリスト教徒は何人かいます。

ここから私が思うことを書きたいと思います。

第一に、この世におけるキリスト者の働きを見るときに、単にその人がクリスチャンだからと言って無条件に支持をしたり、援助すべきではない、ということです。政治家に限らずあらゆる職業にいえることですが、「クリスチャン」だということで「暗黙の甘え」が生じる傾向をこれまで見てきました。

例えば、教会運営のラジオ番組のコマーシャルで聞いた不動産屋さんにお世話になったら騙された、という話を聞きました。私はその人にこう答えました。「世においてきちんとした経営ができないから、クリスチャン相手に行なうのは本末転倒。世における厳しい環境においても、なおのこと実績を持っていることが世の光となる。だから私は、クリスチャンの会社だからという理由でお願いすることはない。未信者でもプロ意識をもってしっかり業務をこなす不動産にお願いしている。」

そして第二に、政治などでその信条や思想はある程度、信仰とは切り離すべきであると私は考えています。同じキリスト者であっても保守と革新がいますし、私は聖書が明言していない事柄については多様な意見があって当然であると考えています。そして、その領域において意見を対立させても、それはキリスト者の分裂であるとか裁き合うという罪にはならないと思っています。むしろ、個々が主にある堅い礼拝と信仰を守っているならば、アウグスチヌスが「神を愛し、そして自分の願うように行ないなさい」と言ったように、恣意的に聖書的世界観を構築しなくても、自然な形でキリストの香りが放たれると信じています。

ですから、あるブログで「日本では保守系政治家とキリスト者は相容れない」と書いていましたが、それはとんでもない話で、自分の政治信条と信仰基準を同列においている僭越的発言だと思っています。

しかし第三に、信仰に関する事柄が直接、政治の領域に触れることがあります。例えば、先に挙げたパレスチナ問題は、単に政治信条に留まらず、個々の信仰者の聖書理解、その神学の深みに関わる問題です。この部分において意見を異にする政治家、経済人、企業家、教育者、その他の職業人がいるならば、それは懸念事項になり、その人を支持するかどうかを決める重要な要素になります。

神社は公式行事なのか?

私がいつも残念に思うのは、「信条や思想」と「信仰」の区別が明白になっていないために、一つの政治信条をクリスチャンはもてないという空気を教会やキリスト教界で造り上げてしまうことです。例えば、改憲がいかにキリスト者として悪しきことか、という空気を作り上げて果たして良いのでしょうか?聖書に軍隊放棄が明確に書かれていることなのでしょうか?そして、自衛隊など国防に関わっている人がそのような意見を聞いたときに、心を痛めるのでは?という余裕は持たないのでしょうか?私たちはキリストのゆえに、自分の信条に思っていることさえ横に置くことを命じられています。

しかし、政治家に関わらず「神道などの宗教行事に公の人が関わる」ということが、革新的な考えを持っている人が「政教分離違反」として批判する前に、キリスト者としていかがなものか?ということを真剣に考えなければいけないと思います。

聖書はこの領域において、具体的に立ち入った模範を置いています。ダニエルとその友人三人です。彼らは公人でした。友人三人は、権力集中のためにネブカデネザルが造り上げた金の像を拝むことを拒みました。ダニエル自身は、メディヤの王ダリヨス以外に祈願する者は獅子の穴に投げ込まれるという勅令を知りながら、いつもと同じようにエルサレムに向かっている窓を開けて、感謝をささげ、願いを立てていました。

彼らが異教の国バビロンやメディヤで、反抗的な態度を取っていたかというとその正反対であり、極めて忠実な僕であり、非の打ち所がないほどだったことが知られています。単に「政教分離」の問題で反対運動することがキリスト者の態度では決してなく、むしろ指導者に対して敬意を払い、あらゆる事柄で指導者を支えていたのです。

けれども、自らの信仰と公の部分が触れる時が来ます。その時は信仰の良心を優先させます。そしてダニエル書には偶像礼拝との関わりが述べられており、日本の伝統や文化を守るという題目で神道的・仏教的儀式に関わることがいかに深刻な問題であるかはぜひ考えていただきたいものです。

私はこのことで正直悩んでいます。なぜこうも妥協してしまう公人が多いのだろう?ということで悩みます。かつてブッシュ大統領が明治神宮参拝をした時に、私は国務省やアメリカ大使館に懸念表明の手紙を書いてくれとアメリカのクリスチャンに要請したところ、逆に批判をする人々がいました。しかしその後にどんどん明らかになってきたのは、ブッシュ大統領は「イスラム教も、キリスト教も同じ神を礼拝している。」「私は聖書を文字通り信じている者ではない。」というような発言が出てきて、彼はマスコミや日本のキリスト教会で信じられてきたような「原理主義キリスト教徒(?)」とはかけ離れていた信仰を持っていたことが明らかにされています。

その時にこうした行為を正当化するために、見事に同じ箇所を引用するのですが、ナアマンが回心した後にエリシャに尋ねた言葉です。

主が次のことをしもべにお許しくださいますように。私の主君がリモンの神殿にはいって、そこで拝む場合、私の腕に寄りかかります。それで私もリモンの神殿で身をかがめます。私がリモンの神殿で身をかがめるとき、どうか、主がこのことをしもべにお許しくださいますように。(2列王記5:18)

興味深いのは、エリシャはそれを認めた訳ではないことです。ただ「安心して行きなさい。」と言ったのみです。そして彼の主君のアラムの王は家臣ハザエルによって殺されているのです(2列王8章)。つまり、その儀式に関わらなくてもよい状況を主が備えてくださった、という見方のほうが可能性としては大きいのです。(信仰を持ったばかりのナアマンのことを取り上げてキリスト者政治家の異教儀式への参加を正当化すること自体、私はけしからんと思いますが。)
 
公の空間に働いている圧力というのは、私の想像を超えてはるかに大きいのだと思います。ですから、私もその人々を強く指差せば、姦淫の現場の女を裁こうとしたパリサイ派の人たちと同じ過ちを犯すことになります。といっても、同時に軽々しい妥協は、神社参拝などの儀式にキリスト者としての良心のゆえに投獄された、また殉教したという過去のキリスト者が流した血を踏みにじる行為であり、決して看過できぬことであります。

参考記事:
何を予期すべきか?」(美濃ミッション事件:子弟の神社参拝拒否が全国紙の一面で取り上げられ、一般人による排撃運動に発展しました。)
靖国神社参拝について その3」(ホーリネス弾圧事件を取り扱っています。)
このくにで主に従う」(「日本的なもの」と「キリストの福音」の衝突を詳述する良書)

この頃、「神道」が「宗教」ではなく「文化や伝統」という中に押し込められていくこと、さらには「キリスト教が源流」という“埋没”へと向かっていく流れを、私は不気味に感じ取っています。福音の真理に妥協しない覚悟が必要です。

jesusnetjapan

先ほど、すばらしい福音宣教サイトを見つけました。

KnowingGod.jp

非常にシンプルかつ、はっきりと福音を伝えています。イエス様だけを伝えているのが良いですね。そして同じ運営者が作成した震災に関連する希望のメッセージのサイトも充実しています。

HopeForLiving.net

そのどちらのサイトにも登場する、資生堂キャンペーンモデルだったヨハンナさんの証しが心に沁みました。一度お会いしたことがあるのですが、彼女自身についてはあまり知らなかったのですが、「こういう証しを持っていたのだ」と関心しました。

Ioanna Sillavan – A Story of Hope (modeling) from Gottkennen.ch on Vimeo.

モデルというのは自分の身体そのものが「商品」であり、自分を取り囲む有名で影響力のある人々にある空しさを感じたという内容の部分を聞いて、次の黙示録18章の箇所を思い出しました。

商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、香木、さまざまの象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具、また、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、麦、牛、羊、それに馬、車、奴隷、また人のいのち(直訳=肉体)です。(12-13節)」
ともしびの光は、もうおまえのうちに輝かなくなる。花婿、花嫁の声も、もうおまえのうちに聞かれなくなる。なぜなら、おまえの商人たちは地上の力ある者どもで、すべての国々の民がおまえの魔術にだまされていたからだ。(23節)」

人の身体でさえ商品とさせる世界、そしてそれはビジネスの中で作られた世界であり、そうした商業主義は実体がないものに実体があるように見せかける「魔術」であると思ったのです。

この二つのサイトを運営している人のブログがこちらです。

jesusnetjapan

WhyJesus.netというサイトの準備もしているそうで、求道者に歴史上のイエスを質問に答える形で説明していくようにしていくものだそうです。楽しみです。

「イスラエル建国の歴史物語」

昨夜と今日一日で、次の書物を完読しました。

「イスラエル建国の歴史物語」河合一充著 ミルトス社出版

ブログ記事「初めから物語る歴史 その5」で参照図書にしていましたが、実はまだ読んでいませんでした。ハーベストタイムに連載されている「イスラエル建国史」の紹介で、人物像に焦点を当てている本ということで推薦していたので、これは専門的、無味乾燥になりがちなイスラエルの近代史を知るには、良書かもしれないと思いました。そしていま読み終えて「その通りだった」と確認しました。

内容は、私個人は「イスラエル全史」に多くが既出でしたが、やはり平易な文体で各章が短くまとめられているので心に残ると思います。そして著者の見方の特徴は、シオン帰還運動を神の一代叙詩(詩篇121)と捉えていることです。これは、信仰者にとって益になることだと思います。

個人的に気に入ったのは、シオニズム運動におけるキリスト者の働きに一章が割かれていることです。当時は米国ではなく英国の中で存在していました。そして、リクード党の初の首相になったベギン氏の歴史的再評価はすばらしかったです。(彼は先の投稿の、バビロン作戦を指示・決定した時の首相でもあります。)歴史というのは、その国の権力者の目で捉えられていることを踏まえて、テロリストであるかのように見られているイルグンの活動にも、新鮮な視点を与えてくれています。その反面、一般的なイスラエル建国史の中心人物であるベングリオン初代首相が中心になっていないことが面白いのですが、やはり彼が中心であったことは他の書物によって補完すべきでしょう。

さらに最期に補足として「ある過激アラブ民族主義者の生涯 ――ハジ・アミン・アル・フセイニーについて」という章を追記しています。これは、誤った中東近代史が常識化している今、必ず知らなければいけない人物でしょう。確かにアラブ人の中に、大量のユダヤ人の帰還民流入によって反感は出てきましたが、彼が扇動して対立を造り上げたと言ってよいでしょう。彼は亡命先でもナチスと手を組んでユダヤ人撲滅の運動を展開していました。その甥が、あのヤセル・アラファトであることも付記されています。

今だから考えたい「バビロン作戦」

イランの核兵器製造疑惑に関して、イスラエルのイラン先制攻撃が日増しに現実味を帯びています。米国防長官が「今年春に攻撃をするであろう、なぜなら核施設をイランが地下に埋めるなら、もはや攻撃不可能になるから、というイスラエルの見解があるからだ。」という旨のことを話しました。そしてイランは、最高指導者も大統領もイスラエルと同盟国を残滅する説教や演説をこれまでになく激しく行っています。

こうしたニュースは決して真新しいものではなく、イランの核兵器開発は1990年代からイスラエル指導層でも懸念材料になってきたものであり、長く続いてきたものです。現在進行中のイスラエルとイランにおける攻防戦は実際は水面下で行なわれており、断片的な情報しか浮上してきませんが、この時期に、私たちはかなり多くのことが公開されている歴史から多くを学ぶことができます。イスラエルは過去に二度、原子炉爆破を行なっています。

一つはイラクの原子炉を空軍機によって爆破させた「バビロン作戦」であり、もう一つはシリアの原子力施設爆破であります。前者は、世界からの非難を大いに浴びたと同時に、イスラエルとアメリカの軍事同盟をかえって生み出し、自衛のための大量破壊兵器に対する先制攻撃するという、イラク戦争において話題となった考えがこの時から始まりました。イスラエルは、ホロコーストという前代未聞の虐殺を経験している分、その安全保障に対する執念は世界の第一人者となっています。

概略としてはウィキペディアが良いでしょう。「イラク原子炉爆撃事件

そして、かつてNHKが特集を組んでいます。かなり良質で、しっかりとした作りになっています。

NHKハイビジョン特集「オシラク・オプション~イスラエル イラク原子炉攻撃の全貌~」

そして、図書館の返却期限が来てしまって途中までしか読んでいない本がありますが、おそらく下がバビロン作戦を包括的に、かつ最も詳細に描いているものだろうと思われます。

イラク原子炉攻撃!ロジャー・クレイア著

・・・・・
聖書信仰者は、ここから何を知らなければいけないでしょうか?もちろん、「目を覚ましなさい、用心しなさい。」というイエス様の弟子たちに対する言葉です。ユダヤ人は諸国における虐げを受けた後で、神に立ち返り、そしてメシヤが来られるという新旧どちらにも記されている神の約束が近づいていることを証明しています。イスラエルが建国し、そして周辺アラブ諸国が攻撃をし、それでもその国は守られています。しかし、それら中東戦争の中でじわじわとロシアがイスラエルに接近しています。そして今までは何でもない国であったペルシヤが一気に、イスラム革命によって台頭しているという状態です。

アラブの春の中でこれまでの独裁制が崩れていますが、それは自由民主主義を信じている改革派ではなく、むしろイスラム原理主義派が台頭する結果となりました。(アラブではありませんが、イランのイスラム革命がその先駆的存在です。)それら当該国はほとんど全て、聖書の中で神が詳細にこれからの行く末を宣言されている対象です。

そして、昨日、バラムについての学びを礼拝の中で行いましたが、そこで得た最も大きな教訓は、「聖書知識が正確でも、それに応答する主への献身がなければ、人々につまずきを与える偽教師に成り果てる。」ということです。「表向きは敬虔でも、その実を否定する」という、パウロがテモテ第二の手紙で警告したとおりのことが起こります。聖書預言も知識だけなら、私たちは無益どころか有害にさえなりえます。愛をもって応答していくよう、神から召されています。よろしければ、下の聖書講解もお聞きください。

民数記23章10節 「正しい者の死」 原稿 ・ 音声
民数記22-25章 「バラムの迷い」 原稿 ・ 音声

恵比寿バイブルスタディのお知らせ(2月8日)

みなさん、こんばんは。今週の恵比寿BSのお知らせです。

日時:2月8日(水)午後7時から
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:サムエル記第一8章以降
※ 食事は学びの前と後で持参ですることもできます。

(次回の予定:2月29日になります)

インフルエンザが流行っているようですが、くれぐれもお体にはお気をつけください。
2月8日にお会いできるのを楽しみにしています。

感謝。

LCFの活動場所(2月4,5日)

次回の教会の活動場所のお知らせです。

2月4日(土)場所:足立区こども家庭支援センター別館3階
 14:00 聖書の学び(使徒の働き21章)
 16:00 祈り会

2月5日(日)場所: 足立区勤労福祉会館2階「工作室」
 11:00 午前礼拝 民数記23章10節 「正しい者の死」
 14:00 午後礼拝 民数記22-25章

ぜひ礼拝にお越しください。次の聖書箇所である「バラム」の話はとても教訓に満ちています。午後礼拝の後は交わりも充実しています!

初めから物語る歴史 - イスラエル その5

その4からの続き)

参照図書:
イスラエル近現代史:「イスラエル全史

イスラエル建国:「イスラエル建国物語」「イスラエル建国の歴史物語

独立戦争:「おお エルサレム!

六日戦争:”Six Days of War
英書しかないのが残念ですが、「エルサレムに朝日が昇る」という邦訳本があります。(注:2012年12月24日後記:なんと邦訳が今年の始めに出ていました!!!「第三次中東戦争全史」ぜひ、次の日本語の書評をお読みください。内容と概要がよく分かります。「日本経済新聞」「弁護士会の読書」)

ヨム・キプール戦争:「ヨムキプール戦争全史

アラブによる反イスラエル主義:「アラブはなぜユダヤを嫌うのか

最後に、Youtubeからのビデオを紹介しましょう。(シリーズなので、続きがあります。それを見るにはYoutubeのページを開いてみれば、続きが「関連動画」の中で見つけることができます。)

イスラエルの誕生(BBCドキュメンタリー)

イスラエル:国の誕生 パートⅠ(在米イスラエル元大使のナレーション)

50年戦争 イスラエルとアラブ(PBSドキュメンタリー)

(注:これは、NHK BSドキュメンタリーで放映されたようですのでそのビデオを入手できれば日本語で視聴できそうです。)

独立戦争(「イスラエル全史」の著者マーティン・ギルバートによる)

六日戦争(全史)

六日戦争(戦闘 History Channel)

六日戦争(戦線)

ヨム・キプール戦争

後記

今年、イスラエルがイランを先制攻撃だろうという米国防長官の発言がニュースになっています。事態は緊張していますが、これでイスラエル旅行を考えていたのを断念しないようにお願いします。私自身2010年にイランとイスラエルの間で戦争があるというニュースが流れても、旅行に行きました。実に、チャック・スミス牧師は1973年にイスラエル旅行を導いている最中にヨム・キプール戦争が勃発しました。それでも旅行は続けられたのです。

2010年の旅行の団長であるアーノルド・フルクテンバウム師は、東日本大震災による原発事故後、周囲からの反対があったにも関わらずセミナーの講師として来日しています。彼は世界中を旅行していながら、しばしばマスコミの情報と現地で起こっていることは異なっていて、前者は誇張しすぎることが多いということを話したそうです。主催者からの要請がない限り行く、と答えたそうです。私もその姿勢で準備を進めていきたいと思っています。現地旅行社から来るのは危険であるという連絡を受けないうちは、表面的な情勢の変化で計画を変えるつもりはありません。

初めから物語る歴史 - イスラエル その4

その3からの続き)

シオニズム運動の背後にある、福音的クリスチャン

話は少しずれますが、興味深いことに、宗教と化したキリスト教会の中で霊的復興が起こり、聖書を神の御言葉として信じる人々が熱心に世界宣教へ行きました。大英帝国の時代、その中にいるクリスチャンは世界に宣教師を送り出しただけでなく、ユダヤ人のパレスチナ帰還を聖書預言の通り起こるのだと信じる人々が出てきました。その英国が国際連盟からパレスチナを委任統治するようにされ、そして外務大臣で熱心なキリスト者であったバルフォア伯爵が、ユダヤ人のパレスチナ郷土を宣言した「バルフォア宣言」というものがあるのです。

興味深いことに、時代が少しずれて同じことを米国が行なったのですが、イスラエル建国の国連承認で活躍したのがトルーマンですが、彼の母が熱心なキリスト者であり、ユダヤ人に対する約束の地への帰還が自分の良心にあったため、国務省の反対を押し切っていち早く承認した、という経緯があります。けれども、今のオバマ大統領のように親イスラエル路線の根幹を揺るがすような発言を繰り返しているように、かつての英国も親ユダヤから反ユダヤへと変換し、1939年の「白書」ではユダヤ人移民の制限を設けました。その後の英国の没落はすばやかったですが、今の米国の没落も、聖書信仰に基づく霊的な力がなくなってきたことと無関係ではありません。

イシュマエルの子孫、アラブとの確執

近現代のイスラエルの歴史は、イスラムという宗教との確執だけではありません。ユダヤ人の親戚であるアラブ人との確執があります。先日、「今、モアブ人やアモン人は存在しているのですか?」という質問を受けました。どちらもヨルダン領にあった国ですが、「いません」と答えました。聖書時代の諸民族で残っているのは、イスラエル周辺地域ですとアラブ人です。そして、アラブ人の父祖はイシュマエルだと言われています。

主がイサクを約束の子とされましたが、アブラハムのもう一人の息子イシュマエルにも祝福の約束をされたことを思い出してください。「イシュマエルについては、あなたの言うことを聞き入れた。確かに、わたしは彼を祝福し、彼の子孫をふやし、非常に多く増し加えよう。彼は十二人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民としよう。 (創世記17:20)」けれども、イシュマエルは兄弟に敵対するようになるとも主は予告されました。「彼は野生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。彼はすべての兄弟に敵対して住もう。(創世記16:12)」

事実、それが今、起こっているのです。アラブ人はユダヤ人との間だけでなく、自分たちの間でも争いが絶えません。映画「アラビアのロレンス」に出てくる部族間の争いは、ヨルダンのフセイン国王も「これは事実である」と言わしめる現実であり、反イスラエルで一致しているように見えるアラブ諸国は、一枚岩どころか、自らの利益の主張によって滅茶苦茶になっています。それが独立戦争の敗戦の大きな一因であったとも言えるでしょう。けれども、アラブ民族は広大な土地、そしてその中にある石油資源によって恵まれているのです。聖書時代から生き残っている民であり、確かに神は彼らを祝福されています。

したがって、ユダヤ人が約束の地に大量帰還している中で、アラブ人の中で民族意識が芽生え、それがアラブ民族運動と発展していきました。それが一連の中東戦争の背後にあります。

(注:しばしば、イスラエル・パレスチナ紛争の根っこに、「イギリスの二枚舌(あるいは三枚舌)外交」があると言われます。「バルフォア宣言」をユダヤ人に行なったのに対して、アラブ側には「フサイン=マクマホン協定」「サイクス・ピコ協定」を結んだのがいけないのだ、と言います。けれども、その地図を見ますと、バルフォア宣言で約束されたところとおおむね重なっているわけではなく、矛盾していません。)

四回の中東戦争

それで、イスラエルが独立宣言をした翌日に一斉に周辺アラブ国が攻め入ってきた独立戦争を第一回とし、シナイ作戦、六日戦争、ヨム・キプール(贖罪日)戦争と四度の中東戦争がありました。

これで重要なのは、独立戦争と六日戦争です。独立戦争はもちろん、イスラエルという国の確保という重要な意味合いがあり、そして六日戦争は「エルサレムの奪取」という大きな意味合いがあります。イエス様が、異邦人の時代が終わるまではエルサレムは荒らされたままになる、と言われましたが、そのエルサレムをイスラエル軍は、トランス・ヨルダン(当時のヨルダン)との戦いで攻め取ることができました。しかし、当時の指揮者である国防大臣モシェ・ダヤンが、ムスリム宗教局にすぐに神殿の丘の管轄を任せたことによって、厳密には異邦人の支配はまだ続いていると言えるでしょう。

そしてイスラエルはいつも戦争ばかりしていると思われがちですが、ヨム・キプール戦争後は、国家間の戦争はなくなりました。敵国エジプトがこの戦後処理を梃子にして、平和条約をイスラエルと結んだためであり、ヨルダンとも平和条約を結びました。したがって、今、イスラエル旅行をする時に、同時にエジプト領にあるシナイ山観光や、ヨルダン領にあるネボ山やペトラ観光を計画することもできるのです。聖書遺跡がたくさん残っているレバノンやシリアには、イスラエル出入国のスタンプ(そして、陸路のエジプトやヨルダンのスタンプも)がある時には、入国できないのです。彼らは「イスラエル」という国自体の存在を認めていないのが正式立場だからです。

そしてその後の紛争は、テロリスト組織との戦いになります。PLOはヨルダンにおいても「黒い九月」という内乱を起こしましたが、イスラエル軍によるレバノン侵攻を彼らのせいで招きました。けれどもラビン首相とアラファト議長が結んだオスロ合意により、PLOがパレスチナを代表する機関として認められ、大幅な自治権が与えられているのです。

テロリストにはPLOのような世俗組織と、イスラム原理主義の二種類があります。ガザ地区を実質支配しているハマスはムスリム同胞団の枝分かれであり、レバノンのシーア派ヒズボラもイスラム原理主義です。その背後には、1979年に起こったイランのイスラム革命の波及があることを忘れてはなりません。

これらイスラエル近現代史を少し理解すれば、単なる聖地旅行以上の、「今現在も神がこの地に心を留めてくださっている」という情熱をイスラエル旅行で感じ取ることができるでしょう。

その5に続く)

初めから物語る歴史 - イスラエル その3

その2からの続き)

シオニズム運動の誕生

その2では、離散の歴史まで話しましたが、次に帰還の歴史が始まります。これは、聖書全体に貫かれている神の回復の物語であり、イスラエルの民が約束の地から引き抜かれても、神は地の果てから彼らを集め、彼らをご自身に立ち返らせるという約束をくださっています。

私があなたの前に置いた祝福とのろい、これらすべてのことが、あなたに臨み、あなたの神、主があなたをそこへ追い散らしたすべての国々の中で、あなたがこれらのことを心に留め、あなたの神、主に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、あなたの神、主は、あなたを捕われの身から帰らせ、あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。(申命記30:1-3)」

イスラエルに対する神の契約は、イエス様の再臨によって実現するのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。(マタイ24:31)」

したがって、離散の時代から帰還へ、そしてイスラエル建国という、私たちに最も近い時代は、聖書物語そのものに入っているのです。「歴史」といえば過去のことですが、永遠の神が語られた歴史は、現在も未来も含んでいるのです!

「その2」で紹介した二つのサイトを、読み直してください。「シオンの架け橋」サイトでは、「ディアスポラ後のユダヤ人」の「シオニズム運動の誕生」から、そして「ミルトス」のサイトでは、「外国の占領下」の「オスマン・トルコ時代」あたりからの話です。

ユダヤ人の離散は全世界にまたがりますが、ヨーロッパ北部のアシュケナジ、イスラム支配下時のスペインから始まったセファラディ、そして中東地域のミズラヒなどいますが、現代イスラエル国の中核を作り上げたのは、ヨーロッパ系のアシュケナジ・ユダヤ人です。

離散の地にある迫害から、「離散ということ自体がユダヤ人迫害の問題点である。ユダヤ人国家を作らなければいけない。」というヨーロッパ型の啓蒙思想が、神がもともとユダヤ人に与えられていた郷土帰還への想い(詩篇137篇参照)と相まって始まったのが、「シオン主義」つまり「シオニズム」です。そして、その時ヨーロッパは社会主義が勃興しており、社会主義的共同体を農耕によって形成するという「キブツ」の夢を掲げた人たちが、オスマン・トルコ時代に荒廃化した土地を緑化したという経緯があります。それがエゼキエル36章にある土地の回復です。

非ユダヤ人だけでなく、ユダヤ人の間でさえも、シオニズムに懐疑的な人たちが少なくありませんでした。先に挙げた申命記30章の約束には、神に立ち返るというしるしが帰還に伴っているのですが、そうして霊的復興もなくただ帰還するのは人間の恣意的な行動であると、特に宗教的なユダヤ人は考えたのです。けれども、実は神はこのこともご自分の御思いに入れておられ、イスラエルの帰還には二段階があり、メシヤが到来する前にすでに国が復興していなければいけないことをエゼキエル書37章は告げています。

そして、ホロコーストが帰還に拍車をかけ、その残虐さに国際社会も驚愕し、国連がイスラエル国家認知を1947年に行ないました。

興味深いことに、中東系の離散ユダヤ人が怒涛のごとく押し寄せたのは、その後です。しばしば「パレスチナ難民」のことは取り上げられますが、「ユダヤ難民」については全く取り上げられません。1948年に勃発した第一次中東戦争(独立戦争)によって、自分の家を離れて避難したアラブ人がパレスチナ難民の起源ですが、同じ時にアラブ諸国にいたユダヤ人も強制退去を命じられました。その大量の難民を誕生したばかりのイスラエル国は「吸収」したのです。パレスチナ難民をある程度吸収したのに成功したのは「ヨルダン国」ですが、大部分のアラブ諸国は政治的意図をもって彼らを吸収せず、難民の位置のままに留めているのです。

そして、あの巨大国ソ連が崩壊しました。その後、そこで迫害下に置かれていたロシア系ユダヤ人が怒涛のごとくイスラエル国に押し寄せました。そのため、今のイスラエルではヘブル語、アラブ語、英語の他にロシア語も使用言語の一つとなっています。

宗教(イスラム)との確執

ヨーロッパに歴史を通じてあった根強い反ユダヤ主義は、「キリスト教」がその背景にありました。イスラエル旅行に行かれるクリスチャンは、そこで言われている「キリスト教」が自分の信じているものと異質であることに、すぐに気づかれることでしょう。極めつけは主が十字架につけられた「聖墳墓教会」ですが、そこにはプロテスタントを除く様々な教派が縄張り争いをしていて、聖職者が文字通りの喧嘩をする事件も散見されます。イエス・キリストに対する信仰が「宗教」に成り下がるのです。

その宗教としてのキリスト教の中では、ユダヤ人が「キリスト殺し」とされました。「ちょっと待って!それは当時の腐敗したユダヤ教指導者が行なったことで、それよりも私の罪のためにキリストがご自分の命を捨ててくださったのでは?」となるのは、福音的な、御霊の新生を経験しているクリスチャンであり、宗教としてのキリスト教は違うのです。イスラエルは呪われた民であり、侮蔑の対象として扱ってきました。

それに対して、イスラム教の中ではどうだったかと言いますと、生存権まで脅かされることはありませんでした。二流市民であるかぎり、その生活を否定することはなかったのです。イスラムには、「征服神学」があります。ユダヤ教はキリスト教に発展し、イエス・キリストはその中の偉大な預言者であるが、最後の使徒ムハンマドにアッラーが啓示を与え、それがコーランであると信じています。ユダヤ教もキリスト教もイスラムによって完成するのだ、と考えているため、イスラムが支配していること自体が大切なのです。ですから、イスラエルに行くと、ユダヤ教とキリスト教のゆかりの地にモスクが立てられています。極めつけは「神殿の丘」に「岩のドーム」が建てられていることです。イスラム教徒は、そのドームに背を向けてメッカに向かって拝礼しています。そこを敬っているのではなく、ユダヤ・キリスト教に対する征服自体が大切なのです。

ところが、近代に入り、彼らの神学体系を根底から覆す歴史が始まりました。ユダヤ人が大挙してパレスチナの地に押し寄せてきたのです。しかも、彼らは土地を買い取り、そこを開墾し、町々を建て、そしてなんと国造りまでしていました。イスラム主権ならず、ユダヤ人主権が広がっていくということは、彼らにとって屈辱以上の、絶対にあってはならない出来事なのです。

そこで近現代の歴史が「ヨーロッパ中心の反ユダヤ主義」から、「イスラム圏の反イスラエル主義」へと変わっていったのです。

その4に続く)