負い目のある私たち

人間生活に必要な自虐ギャグ

私は海外生活が長いためでしょうか、日本にいて時々息苦しくなる時があります。今回の女性議員に対する都議会における性的嫌がらせの野次にまつわる、世間の怒りの表れに度を越したものを感じます。その他でも、政治家の失言で頭を下げて謝罪している姿を見るにつけ、「首根っこをつかむ」「締め付ける」「吊し上げる」という空気で周りが固形化しているのが、とても辛いです。教会の人でもこの前、しばらく海外出張で外国の人相手であったのが、今は日本の人たちとの話し合いになっているが、どうも細かいところ、そして言葉の表現の仕方が議論の中心になり肝心の内容を進めていくのになかなか前にいかず疲れる、という話をしておられました。

次の、私の友人のFBにおける投稿で、イギリスの議会の野次を取り上げた記事がリンクされています。

イギリスの議会におけるヤジはどうなっている?

calm-down-dear-cameron-clegg-osbourne議会って、こんなに熱く、楽しくなることができるのか?と本当に羨ましくなりました。非常に高度で、高貴なバラエティー番組を見ている気分です。私は大学の頃ディベートをしていましたが、その理想形をここで見ます。つまり「言葉のやり取りの軽快さ」なのです。これはノリが軽いとか、内容がないということではありません。むしろ、そうすることによって論理の構成に注目し無駄を省くので、事の本質にそのまま入ることができるのです。さすが、最も民主主義の議会制度が成熟していると言われるイギリスだなと、ほっとします。リンク先にある議会のビデオを紹介します。 続きを読む 負い目のある私たち

イスラエルを祝福するとは

以下の記事について話します。

イスラエルを祝福する者は祝福される?

教会の中にも、この文章を読んで疑問に感じた方もおられたので、おそらく同じように考えておられる人がいるであろうという公益も踏まえ、こちらで私の聖書理解とその立場を書き記したいと思います。

霊の救い以上のアブラハムへの祝福

「イスラエルの定義」について。これは、ご自身が引用されたアブラハムへの祝福によって定義されます。アブラハムへの祝福は、キリスト・イエスにあって、エペソ1章にあるように、またガラテヤ書にあるように、天にある霊的祝福に表されています。したがって、今はキリストによって、ユダヤ人のみならず、異邦人にもこの祝福は伸ばされています。難しい用語を使うのであれば、村上師の主張は「教会論」においては全くその通りです。(参照記事:「日本におけるメシアニック・ジュー運動」)

しかしここで抜け落ちているのは、アブラハムへの祝福はさらにもっと大きな約束が含まれているということです。霊的祝福に留まらず、明確に、土地の所有、国が大きくなること、子孫の繁栄であります。それがモーセに受け継がら、ダビデによって確固たるものとなり、バビロン捕囚の直前、エレミヤによって新しい契約の約束によって予告されていたものでした。

何百、いや千を越える膨大な約束が、このように旧約時代の聖徒らに啓示されていました。新約聖書に出てくる、このような非常に濃厚なユダヤ的背景において、これらの約束が前提にあって、そこで、信仰による義であるとか、罪の赦しであるとか、聖霊の約束であるとか、霊的祝福が語られていたのです。 続きを読む イスラエルを祝福するとは

恵比寿バイブルスタディ(6月25日)

こんばんは。みなさん、お元気ですか?

ルカによる福音書は6章まで終わりました。これまで何度も読んできたような話でも、実はルカの視点によるイエス様の言葉を見ることで、新たなチャレンジを受けています。

日時:6月25日(水)午後7時から
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:ルカによる福音書7章
※次回は、2014年7月16日です。(二週間空きますので、ご注意ください)

それでは、お会いできるのを楽しみにしています。