聖書学びサイト「いのちのみことば」

このブログのリンク先には、伝道や聖書の学びにとって良質と思われるサイトをリンクしていますが、今日、新たにリンクを加えました。

「いのちのみことば」

thru-the-bible-with-j-vernon-mcgeeとてもシンプルに作られていますが、内容はとてつもないものです。THRU THE BIBLE(聖書通読)という、聖書全巻の講解の内容を日本語に訳して提供しており、その説教者はJ.バーノン・マギー牧師であり、彼の単純な聖書講解説教のスタイルは、カルバリーチャペルのチャック・スミスに大きな影響を与えています。今でも、いろいろなキリスト教放送局が流し続け、カルバリーチャペルのラジオ局KWVEでも流しています。

全てを調べていませんが、このサイトから創世記から黙示録までの聖書講解を日本語で、全て聴き、また読むことができるようになっています。サイトを開けば「今日の番組」が前面に出てきますが、「聖句によって検索」のところで、聖書の書物と章を選ぶことができます。そこから、自分の読みたい箇所を探せばいいです。

ロゴス・ミニストリーを使って聖書の学びをしておられる方は、さらに大きな恵みにあずかることができるでしょう。

イスラエルから流れる神の愛

クリスチャン・シオニズムに対する誤解」、そして前々投稿「「平和活動」対「キリストの平和」」と前投稿「「パレスチナ人クリスチャン」の異論と希望の証し」の続きです。

「検問所会議」のまとめ

検問所におけるキリスト」会議について、これまでの内容とかなり重なりますが、まとめみたいと思います。

先週は、かなり悶々とした時間を過ごしました。とても苦しくなり、なぜそうなのかはっきりしたことが分からずに悩んでいましたが、ようやく分かりました。それは、とても単純な真理です。「神はこよなくイスラエルを愛され、その愛をキリストにあって異邦人にも押し流してくださった。」という流れを否定されたからです。神が一方的に、ご自分の憐れみによってイスラエルを選ばれたからこそ、キリストにあって私も一方的に神の憐れみを受けて、愛され、選ばれているのだという、このつながりがあるわけで、イスラエルへの神の選びを否定したら、自分たちにも愛がなくなってしまう、ということです。

私が、個人主義的な信仰から世界に向かう御国の幻を広げたきっかけは、イスラエルへの祈りがあり、それから世界宣教がつながっていることがあります。聖霊はエルサレムにいる弟子たちに注がれ、シオンに王が来られたという良い知らせから、地の果てにまで神の救いが及ぶという宣教の情熱は、イザヤ書によって預言されていました。その幻は、主に聖書通読から得られたものですが、ジョエル・ローゼンバーグという、聖書預言に基づく小説を書いている人の講演や著書の影響は大きいです。彼は”Epicenter(震央)”という神の幻を頂いており、神はイスラエルを中心にして世界を動かされているが、その周囲の国々にその祝福は広がっているという重荷があります。それでJoshua Fundという団体を設立しました。それはイスラエルのならず、パレスチナ人、周囲のアラブ人に及ぶ広範囲な、霊的、物質的支援を行なっているところです。 続きを読む イスラエルから流れる神の愛

「パレスチナ人クリスチャン」の異論と希望の証し

前投稿「「平和活動」対「キリストの平和」」の続きです。

「不条理」の中で「平和と希望」を保つ兄弟

実際に西岸に住んでいる、生のパレスチナ人の兄弟がいます。その人は、6年前にガザから西岸に移り住みました。ガザでは、クリスチャンということで圧迫を受けていました。そして、イスラエルを憎む教育を受けていましたが、今は思いを改めています。けれども、西岸は大きな刑務所のようであり、移動の自由が分離壁や、検問所によって制限されています。エルサレムに行く一日許可を得て、学校に行くための許可証を得ようとしていますが、面談について音沙汰がなし。さらに、最新の投稿ではイスラエル軍から、「あなたはガザから来たので西岸においては違法だから、自治政府からの許可を得なさい。」と言われたそうです。もう複雑で滅茶苦茶ですね。ちなみに、この兄弟のためにイスラエルにいる、ユダヤ人信者やクリスチャンが祈ってあげています。 続きを読む 「パレスチナ人クリスチャン」の異論と希望の証し

「平和活動」対「キリストの平和」

この頃、「平和」についての話題の記事が多くなっていますが、このことは、キリスト者に関わるいろいろな平和や和解の働きに関わっているので、強く考えさせられています。次の言葉の紹介から始めましょう。

多くの人が平和活動に対して強く躊躇する理由の一つは、平和活動家自身が求めている平和を、その人たちの中に見出せないことにあるのです。しばしば目に映るものは、恐れと怒りを抱く人が、自分たちの抵抗の緊急性を他人に説得しようとする姿だけです。悲劇なのは平和活動家がもたらそうとしている平和よりも、戦いを挑んでいる悪魔の姿しか見えないことです」(「平和への道」(ヘンリ・ナウエン著)92ページ

次のビデオは、パレスチナの町ベイト・ジャラという所で、分離フェンスに反対している、クリスチャンのグループが撮ったものです。

Non-Violent Resistance met with Lethal Force in Beit Jala from Stephen Sizer on Vimeo.

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「親パレスチナ」の人に言いたい事

「パレスチナがイスラエルに”占領”されている」「ユダヤ人国家としてパレスチナ人を”隔離”し、”民族浄化”を目論んでいる。」「パレスチナ人は”分離壁”によって、移動の自由も奪われ、経済的にも”搾取”されている。」「イスラエル軍と入植者の”暴力”に苦しめられている。」

このような話を聞いて、「反イスラエル」「反シオニズム」という「反感」、酷くなると「敵愾心」になりこそすれ、パレスチナを愛し、親しむという思いは出てくるのでしょうか?「親パレスチナ」ならば、イスラエルを抜きにしても、なおのこと親しみと愛着を感じる、パレスチナの良さ、その誇るべきことを伝えるべきなのではないでしょうか?そして、そのような誇りを伝えることが、「平和」へ手助けになるのではないかと、という疑問を抱いています。

私自身の”親”パレスチナ旅行記をここにご紹介します。

ヘブロン旅行記

ラマラ・ナブルス旅行記

ベツレヘム旅行記

エリコ旅行記

ここでの経験から私は二つ、自分の”親”パレスチナの立場を紹介します。 続きを読む 「親パレスチナ」の人に言いたい事

教会の最大の脅威:「イエス様のファン」

平和への妨げ「被害者意識」」に引き続き、「東アジア青年キリスト者大会(第六回2016年)」で語られたメッセージで、心に残っているものを紹介します。永井信義牧師(福音の群・東北中央教会牧師)によるものです。

音声:「イエスのファン? 」ヨハネ6章26-27節

クリスチャン新聞の記事:「恵まれるだけでなく、従って

nagai_shiぜひ音声を聞いてください、とっても面白いです!(中身は22分辺りから)とても深刻な(?)問題を、若者向けにチャレンジを与えるように語ってくださっています。福音書にある、イエス様に付いていっている群衆と、イエスの弟子との違いを話し、それから野球場における、ファンと選手の違いを話しました。ファンは「もらう」ためにイエス様を応援しますが、選手はイエス様のプレーの一部になることができます。自分を通してイエス様が生きて働いていること、その御業の中に入っていることを経験します。そこには「捧げる」ことが必要です。 続きを読む 教会の最大の脅威:「イエス様のファン」

イスラエルがアパルトヘイト国家??

イスラエル国家は、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)国家と類似しているというプロパガンダがあります。一度、グーグルで「イスラエル アパルトヘイト」と検索してみるとよいでしょう。以下は社会的実験をしてみたビデオです。「白人だけ」「黒人お断り」という標識と同じように、テルアビブの通りや海岸で、「ユダヤ人だけ」という標識を掲げてみたら、イスラエル人がどう反応するかを見ています。

なぜ、私がここでこのような記事を投稿しているかと言いますと、イスラエルに行って実際に見て、そのような宣伝があまりにも馬鹿げていることを知っているからです。アラブ人やムスリムが街の通りを歩いている姿はあまりにも多すぎて、人々は気にも止めません。黒装束のユダヤ教徒とヒジャブを被ったムスリム女性がすれちがったり、電車ではムスリム女性とイスラエル兵士が同じ椅子で隣に座り、それぞれがスマホを眺めていたりしているので、「あまりにも溶け込み過ぎ、よく共存できているな?」と私のほうが、人々を隔離している自分の心を恥じるほどです。 続きを読む イスラエルがアパルトヘイト国家??

入植地にある平和と共存

以下のビデオを何度も見て、涙しました。

これは、「ソーダストリーム」という会社で、イスラエルのネゲブに工場を持つその姿を表しています。ユダヤ人、イスラエル系アラブ人、そしてパレスチナ人が共に働いている姿、なんか夢の中にいるような風景です。

この会社は、かつてヨルダン川西岸地区内に工場を持っていたため、世界のBDS(イスラエル製品ボイコット運動)の攻撃を受け注目を浴びた所です。「入植地」「イスラエルの会社」ということで、搾取の象徴であると断罪していましたが、自治区の経済はずたずたで失業率が高く、現地パレスチナ人の大きな働き口は入植地におけるものなのだ、ということは現地では常識となっています。しかも、イスラエル国における労働規定がありますから、イスラエル領地内の賃金や福利厚生を平等に提供しなければならないので、相対的に、パレスチナ人としては賃金も、労働条件もはるかに良い環境で働くことになります。 続きを読む 入植地にある平和と共存

平和への妨げ「被害者意識」

ずっと前から投稿しようと思っていたことを分かち合います。今年初頭に香港で行われた「2016年東アジア青年キリスト者大会」(Three Together)ですが、そこでのメッセージで特に心に残ったものがいくつかあります。その中の一つを紹介します。

「東アジア地域宣教の状況と和解の必要」金ジョンホ(김종호)
音声 ・ クリスチャン新聞記事1

彼は、日本のKGKのような韓国の学生伝道団体KIVFの代表です。クリスチャン新聞記事の内容の一部をこちらに抜粋します。

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「「日本に対する被害意識を植え付けられて育った」と振り返った。ところが、十数年前に日本を訪ねたときに衝撃を受けた。日本人も自分たちが第二次世界大戦の被害者であるととらえていたからだ。昨年は長崎を訪問し、博物館で残酷さ、非人間的状況を見た。一方で、原爆を落とされるに至った理由を学ぶことがないという日本の姿に疑問を残した。「加害と被害の構図は一定ではない」と言う。「ベトナム戦争では、韓国も加害者になった。日本に統治された韓国が加害者となるアイロニーがある」中国の例もある。長崎に同行したある中国人のクリスチャンは、「中国人は民族主義的傾向が強い」と語った。「中国は何千年も世界の中心にいたが、現代では周辺国に劣るようになった。だが米国が国力を落とす中、今後中国が、世界一の強国になる可能性があります」
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感情の絶対化

前の投稿「「寛容」という名の「非寛容」」の続きの内容です。

「上」におられる神から、「心の中」の神を求める現代

この頃感じることで「人々が自分の感情を絶対正しいとしてしまっている。」ということです。次の記事に、このような文章がありました。

感情に支配された「絶対正しい」という考え

「だから、われわれは自分の感情が神のように絶対正しいと考える傾向がある。教師や上司の指導にとりあえず従っているフリをしていても、腹の中では自分の方が絶対に正しいと考えているようなときは、感情に支配されていると考えてまず間違いない。

自分の感情が絶対に正しいとする基準はどこにも存在しない。他人も自らの感情に基づいて、自分が絶対に正しいと考えている。人間が絶対に正しいと考えることは確実に存在する。ただし、それは複数存在するのだ。自分の感情に固執して周囲から孤立しないようにするためには、近現代人にとって感情が神の位置を占めていることをよく認識しておく必要がある。」 続きを読む 感情の絶対化