皆既日食と世の終末?

今、自分のフェイスブックには、続々と米国の友人たちからの皆既日食を撮った写真がタイムラインに流れています。ある方が、ご自身は思いっきり”引いた”形で次の記事をシェアしておりました。

【悲報】「今年の9月23日人類滅亡」ほぼ確定へ! ピラミッド、聖書、皆既日食など根拠多数、2024年8月8日まで終末状態が続く!

もう三年前以上に、以下のブログ記事を書いておりました。とても単純な部分で聖書の預言を読み違えています。

「赤い月」預言について

そして、いつも牧者JDファラグさんとアミールさんの聖書預言の解説を翻訳して発信しておられる、言波さんも、大切なことを書いておられます。

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(ブログ:「神さんのいうとおり」から))

つまり、天にしるしが現われるというのは、聖書に適った事ではあるけど、
私達が注目し、述べ伝えるのは、そこではない。という事。

なぜなら、聖書にはこう書いてある。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。
しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。
第一コリント1:22-23 続きを読む 皆既日食と世の終末?

地獄は不正か、それとも究極の正義か?

もし、だれでも、獣とその像を拝み、自分の額か手かに刻印を受けるなら、そのような者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲む。また、聖なる御使いたちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。」(黙示14章10‐11節)

昨日は、東十条の学びで黙示録14章(原稿音声)を学びました。先日、当ブログでセカンド・チャンスを改めて考える記事を載せましたが、それは「福音を聞いたことがない者が、死後に救われる機会があるのか」という問いかけでした。

けれども、そもそも、これまでじっくりと「地獄」というものが何なのか、何の思いをもって神はそれを造られているのか、またそこに神の正義があるのか、また憐れみもあるのか?という、「地獄」そのものについての教えから、私自身、目を逸らしていたことに気づきました。

毎週、いや毎回の聖書の学びで、私の信仰の中の奥深い部分で、地獄の存在を全く意識しなかったことはあり得ませんでした。非常に大切な教えである一方で、これを言葉にして、表に出すことに対する強い不快感が、どうしても付きまとってしまいます。

しかし、避けて通ってはいけないと思って調べてみました。

「愛の神は、人間を地獄で苦しめたりしないはずだ」は本当か?

一つ目は、以前当ブログで紹介した、「それでも神は実在するのか?」(リー・ストロベル著 いのちのことば社)です。本書は、キリスト者ではない方、求道者の方には特にお勧めです。キリスト教は良いかもしれないが、これこれの要素があるから、受け入れられないというような疑問に、真正面から取り組んでいる本です。そこに、上の副題の、地獄に対する疑問に返答している神学者の言葉が載っています。J.P.モーランドという方です。 続きを読む 地獄は不正か、それとも究極の正義か?

改めて「セカンド・チャンス」について

有るところで、「福音を生前に聞いたことのない人が、死後に救われる機会はないのか?」という内容の議論があり、私もその中に加わっていました。以前、以下の書籍紹介を当ブログでしていました。

「セカンドチャンス」は本当にあるのか

下に、私の立場を書かせていただきます。

①神は正しい方、そして慈悲深い方

私は、神の救済についておそらく、保守的な聖書理解に立っていると思います。つまり、全ての人が罪を犯したゆえに、神の前で有罪だということを信じ、受け入れています。聖書全体の中にも、旧約から新約まで、人は罪深く、不義を行ない、それゆえ神の憐れみなしには生きることはできない存在だ、ということが徹底しているからです。人は罪人であり、神こそが聖なる方、義なる方です。

そして、神を知らない異教徒についてはどうなのか?ということになりますと、その与えられた知識に基づいて裁かれます。ローマ1章後半では、神を知らないと言っても、実は被造物にある神の栄光があって、その知識を抑え込んでいる。死後に裁きがあることを知っているのに、あらゆる悪や貪りに心から同意している、ということが書いてあります。そして2章においては、自分を正しいとしている人たちについて、実は自分が正しいと思っていることさえ行なえていない、良心にある律法に背いていると論じています。そして聖書の知識のある人は、「知っているのに、行なっていない」という問題があるとして、3章において「全ての人が神の前に有罪だ」となるのです。ですから神は、裁かれる方です。

しかし、神は憐れみに富む方です。ご自分の義にしたがえば、裁かなければいけないのですが、しかし憐れみと富む方で、怒るに遅い方です。ですから、ご自分の御子をさえ惜しまずに、ローマの十字架によって死刑人とされて、それを私たちの罪の供え物としてくださいました。罪を赦していただくために、この方の御名を呼び求め、主と告白し、また死者の中から甦らせてくださったことを信じるなら、その人は、罪、死、神の怒りから救われると信じています。

そして主は、地上に生きているものを裁かれるし、また死後にも裁かれます。終わりの日には、死者を甦らせ、各々をその行ないに応じて裁かれます。

②死後は、神の主権、領域内にある

ソロモンが言いました。「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。」(伝道者12:7) 続きを読む 改めて「セカンド・チャンス」について