イスラエル人、アラブ人、パレスチナ人に向かう主の情熱

ずっとご紹介しようと思っていた映画があります。以前、「第三神殿」というビデオを紹介しましたが、同じ韓国人の金ジョンチョル監督が、筋金入りの証し集のドキュメンタリーを作成しています。

①「回復」:イスラエルのユダヤ人たちが、イエスを信じるが、同時に不信者のユダヤ人からの迫害を受けている、福音に敵対する聖地、しかし霊的に回復しつつある聖地の報告。

こちらで全編を視聴することができます。) 続きを読む イスラエル人、アラブ人、パレスチナ人に向かう主の情熱

神学を神学できる人(ディスペンセーション主義の例から)

これまで、本ブログではこの神学について二つの記事を書きました。

ディスペンセーション主義について

ディスペンセーション主義の落とし穴

けれども、次にお勧めする、精度の高いブログがあります。(一番下の記事から上に順番に読まれるとよいでしょう。)

「balienのブログ」(ディスペンセーション主義のカテゴリー)

この記事を書いた兄弟と一度だけお会いしたことがありますが、神学者でもなければ、牧師でもありません。しかし、彼には賜物があります。いや、牧師や神学者でさえ見失っている大切なものを彼は持っています。それは何かといいますと、「神学を学ぶ態度と姿勢が正しい」ということです。他の記事に書かれてあることをご紹介します。

会場の雰囲気──学ぶ側の姿勢続きを読む 神学を神学できる人(ディスペンセーション主義の例から)

距離を置きたいような神学論議

私は、これまで、警戒しているというか、適当に距離を置いて見ている神学議論があります。その一例が、こちらの神学者のブログ記事です。こんな文言があります。「オープン神論では、全能の神は世界に対するご自分の支配を自発的に制限し、被造物が自由意志をもって自分の行動を選択できるようにされたと考えます。」(引用元)つまり、「神は支配者」という真理に制限をかけているのです。私は正直、このような発言に怒りさえ抱くことがあります。聖書が明言している真理について、人間の論理や感情でそれをばっさりと否定していくように見える文言が多いからです。

しかし、先日、ある牧師さんとよい交わりができました。結局、私たち日本人キリスト者(特に牧師のような教職者)は、「欧米の神学、欧米のキリスト教ばかりに目を向けている」というもっと前提になっている問題があるとのご指摘。プロテスタントの宗教改革以降存在している落とし穴があります。例えば、この記事において、

1.神は全能である。
2.神は善である。
3.世界には悪が存在する。

ということについて、問いかけをしています。しかし、その大前提に「一貫した合理性、前提から結論までつなげる論理をほしがっている」飢え渇きがあるのです。それで、従来の、全ての事象に対して神を第一原因に結びつけていくカルビン的な世界観なのか、それともそれをオープンにするべきかという二者択一の議論をしているのです。 続きを読む 距離を置きたいような神学論議